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80年代ごろは、日本企業のインド進出は全くなかったが、95?96年頃から急速に日本企業が進出し始めている。核実験の話がでたりして98年ごろ一時的に景気が下向いたがようやく若干ではあるが上向いてきた。日本企業のインドビジネスはまさに始まったばかりである。 |
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ソフトウェアについては、日本よりインド企業の方が進んでいるとさえ感じることがある。グローバルにみた日本の危惧とインドの技術すばらしさと、学歴の高さや若さに日本のソフトウェア産業は大丈夫かとさえ感じる。コストパフォーマンスの高さも評価できるところである。 |
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人がいっぱいいるし、人件費が安い。政府の後押しがある。しかし、政府が力を入れるのは、全くの外貨稼ぎが目的と思われる。 |
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ソフトウェア産業の進化と産業の情報化については、インド政府としては特に問題ではなく、外貨稼ぎと、雇用創出、頭脳で勝負できる点のみに関心があると思われる。
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インド最大手の金融機関でさえ、情報化投資は進んでいない。国内の情報化とのギャップはかなり大きい。インド国内ではY2K問題はあまり問題ではない。 |
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96?97年には、インドソフトウェア企業が共同で事務所を構えるなど、インドソフトウェア産業は、アメリカにかわる日欧が市場のターゲットとしはじめている。子のような動きもあり、日本企業がインドに発注しやすくなっている。 |
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ソフトウェア産業の人件費について、インド国内では大変高いが、先進国に比べて低い。当面はこの状況が続くと思われるが、いずれ先進国に追いつくと考えられる。
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アメリカ系企業のなかには、インドの同産業の人件費の上昇から、フィリピンへシフトし始めている感がある。 |
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合弁契約案づくりの仕事では、契約書類にはなんでも書くように話をしている。あたりまえと思うことも書くことがトラブルをさける秘訣である。「わかるだろう」とか、「当たり前だ」といった発想は失敗を生む。 |